人それぞれ様々な人生がありますが、例外なく共通のイベントがあります。
それは「生」と「死」です。
人生に予め定があるとするならば、それは生から死への過程であると言えるのではないでしょうか。
アカシックレコードには、生から死への過程が記述されています。過程が決定事項であるとすれば、運命は生まれながらにして決まっていると言えるかもしれません。ですが、本当の意味での定とは生と死であり、過程そのものは決定事項の定と言い切れないと思いませんか。
人生万事塞翁が馬
人生の過程を評価するのは、誰だと思いますか?
人生の過程を主観的に評価しているのは、あなた自身です。良いことがあった。悪いことがあった。良いことと思ったけど、後になったら良くなかった。この様に、評価をしてるのは自分で、しかも、結果論を主観的に見ているだけです。
では、死を迎えた時、死を評価するのは誰だと思いますか?
アカシックレコードに人生の過程が記述され、それが運命であるというのならば、評価をしてはいけません。私がこの M theory の重要なポイントとして書いている通り、善悪の基準や判断を設けないという理由はここにあります。